第1章|価値と価格の違い
はじめに|価値と価格は同じではない
企業価値評価の場面でしばしば混同されがちなのが、「価格」と「価値」の違いです。
たしかに、取引が成立する場面では両者が一致することもありますが、評価という行為を冷静に見つめると、その本質は「価格」ではなく「価値」を把握することにあります。
価格はあくまで売り手と買い手の間の交渉によって決まった金額です。
いわば、ある時点の取引結果にすぎません。
一方、価値は、将来にわたって得られると見込まれる経済的な利益という前提条件に基づき理論的に見積もるものです。
したがって、同じ対象でも評価の目的や立場が異なれば、価値は異なる水準になり得るのです。
このような背景から、本章ではまず、「なぜ企業価値評価が必要とされるのか」という視点で、価値と価格の違いを整理します。
価値は「一物多価」であるという考え方
企業価値という概念を考える上で押さえておきたいのが、「価値は一つに定まらない」ということです。
つまり、評価の前提条件が変われば、同じ企業であっても異なる価値が導かれるということです。
このような違いが生まれる主な要因には、以下の3つがあります。
評価目的の違い
たとえば、将来的な成長を見込んで出資を検討する場面では、将来のキャッシュフローに着目して企業の価値が算定されます。
一方、事業継続が困難になった企業については、清算前提での資産評価が中心となる場合もあります。
つまり、同じ企業でも「継続を前提とした評価」なのか「清算を前提とした評価」なのかによって、価値が大きく変わる可能性があるということです。
当事者の立場の違い
また、売り手と買い手の利害が異なる場合にも、価値に対する見方が変わってきます。
売り手は少しでも高い価値を前提に価格交渉を進めようとしますし、買い手はリスクを織り込んで慎重に価値を見積もる傾向があります。
このように、誰の視点で企業を評価するのかによって、将来キャッシュフローの見積もりにも差が生じるのは当然のことです。
経営権の有無による違い
さらに、評価の対象に経営権の取得が伴うかどうかも、価値に影響を及ぼす要因の一つです。
経営権を得ることで、経営方針を自由に決定できるようになるという利点があるため、そのような評価には「コントロール・プレミアム」と呼ばれる上乗せ要素が加味されることがあります。
ただし、このプレミアムの算定手法については必ずしも統一されておらず、評価者の判断にゆだねられる部分も残されています。
3つの階層で考える「企業価値」の構造
「企業の価値」とひとことで言っても、その中身は一枚岩ではありません。
評価の目的や文脈によって、以下のように複数の層に分けて捉える必要があります。
事業価値
事業価値とは、その企業が本業を通じて生み出す将来のキャッシュフローの現在価値を意味します。
代表的な算定方法としては、DCF法(ディスカウント・キャッシュフロー法) などが挙げられます。
この価値は、企業の本業が将来的にどれだけ利益を生み出せるかに着目したものです。
企業価値
企業価値は、上記の事業価値に加えて、遊休資産や余剰資金といった非事業資産を含めた、企業全体としての価値です。
これは事業だけでなく、保有資産の有効活用という視点も加えた評価になります。
非事業資産には、不動産や有価証券、または使われていない設備などが該当することが一般的です。
株主価値
最後に、企業価値から有利子負債などの他人資本を差し引いたものが、株主に帰属する価値、つまり株主価値です。
これは、投資家や株主が最終的に関心を寄せる価値であり、企業評価の中核をなす概念といえるでしょう。
なぜ今、企業価値評価が注目されているのか
近年、日本においても企業価値評価の重要性が急速に高まっています。
その背景には、M&Aや事業再編といった場面において、客観的な評価の必要性が増していることが挙げられます。
また、かつては価値評価が一部の専門家だけに委ねられていた時代もありましたが、現在では評価結果の根拠が取引当事者や株主に求められるようになってきています。
こうした流れのなかで、「なぜその価値なのか」を理論的に説明できる仕組みが、企業にとっても評価者にとっても求められていると言えるでしょう。
おわりに|評価の本質は「価値」にあり
本章では、価格と価値の違いに着目しながら、企業価値という概念の構造と意義を整理しました。
企業の経済的な実力を把握するには、一時的な価格の動きではなく、将来にわたってどれだけの便益をもたらすかという観点から価値を見極めることが求められます。
評価に携わる者として、また企業を運営する立場にある方々にとっても、この「価値を正しく理解する姿勢」は重要な出発点になるはずです。
第2章|価値創造の数理とROIC・成長率のバランス

はじめに|企業の価値はどこから生まれるか
企業価値を測るうえで、単に現在の利益や資産額を見るだけでは不十分です。
本質的に重要なのは、企業が将来にわたってどれだけのキャッシュフローを生み出せるか、そしてそのキャッシュフローをどれだけ効率的に生み出しているかという点です。
ここで登場するのが「ROIC (投下資本利益率)」と「成長率」です。
この2つの指標は、企業の価値を押し上げるための中核的な要素として、企業経営においても評価業務においても極めて重要な意味を持ちます。
本章では、ROICと成長率の関係を数理的にひも解きながら、価値創造の仕組みについて整理していきます。
ROICと成長率の関係を理解する
ROICとは何か
ROICは「投下された資本に対して、どれだけの利益を生み出せているか」を示す指標です。計算式としては以下のとおりです。
ROIC = 税引後営業利益(NOPAT)÷投下資本
この指標が資本コストを上回っている状態であれば、企業はその分だけ価値を生み出していることになります。
逆に、資本コストを下回るROICでは、事業を拡大しても企業価値が減少してしまう可能性があるため、注意が必要です。
成長率の意味と測り方
成長率は、将来的に企業がどの程度事業を拡大できるかを示します。
売上や利益、キャッシュフローの伸び率など、さまざまな観点から成長率は評価されますが、評価上は主に営業キャッシュフローや税引後利益の成長を基準に考えることが一般的です。
この成長率とROICの関係は、単純に切り離して考えることはできません。
数式で見る価値創造の構造
価値を決定する基本式
企業価値を理論的に計算する場合、次のような基本式を用いることがあります。
企業価値 =フリーキャッシュフロー÷(資本コスト-成長率)
この式は、将来のキャッシュフローが一定の成長を続けると仮定した場合の理論的な評価モデルです。
ここで重要になるのが、「キャッシュフローそのものをどう構成するか」という点です。
キャッシュフローは利益から再投資分を差し引いて求められますが、その再投資分は成長率とROICの組み合わせによって決まります。
成長率 = ROIC×投資比率
この関係式が示しているように、ROICが高いほど、少ない投資で高い成長を実現できるということになります。
仮想的な2社比較で見る構造の違い
たとえば、利益水準が同じ2社があったとしましょう。
一方の企業は利益の25%を再投資し、もう一方は50%を再投資しています。
投資効率(ROIC)が前者のほうが高ければ、同じ利益であっても生み出されるキャッシュフローは大きく異なり、企業価値も前者のほうが高くなります。
つまり、同じ成長を達成するためにより多くの投資が必要な企業は、結果的に投資家にとっての価値が下がる可能性があるということです。
ROICを高めるにはどうすればいいか
ROICの構造的な内訳
ROICをさらに分解して考えると、次のような要素に分類されます。
ROIC=(1-税率)×(価格-コスト)÷投下資産
この式から分かるように、以下のような戦略がROICの改善に寄与することが分かります。
- 高い価格で販売できる製品やサービスを持つこと
- 生産コストや間接費などを効率化すること
- 必要最小限の資本で事業を運営すること
成長と投資のバランスをどう取るか
企業が価値を創造するには、成長のための投資を行うことが前提になります。
しかし、投資が多すぎるとキャッシュフローが減少してしまい、かえって価値を損なう結果になる可能性もあります。
そのため、成長率が高くてもROICが資本コストを下回っている場合には、企業価値を押し下げてしまうことも考えられます。
こうした関係性を正しく理解し、投資判断に活かしていくことが求められます。
この章のまとめ:成長だけでは価値は生まれない
企業が将来に向けて価値を創造していくには、ただ成長するだけでは不十分です。
成長にともなう投資が十分なリターンを生むかどうか、つまりROICが資本コストを上回っているかどうかが決定的に重要です。
そのうえで、どれだけのスピードで成長を続けられるかが、最終的な価値に大きな差をもたらします。
目の前の利益や売上ではなく、こうした構造的な視点から企業の価値を見つめていくことが、これからの評価や戦略に求められる姿勢と言えるでしょう。
第3章|企業価値評価ガイドラインと国際評価基準の接続
はじめに|評価基準の明確化が求められる時代に
企業価値評価の実務は、年々その重要性が高まっています。
とくにM&Aや資本政策、紛争時の株式価値算定など、多くの場面で客観的な評価の基準が求められるようになってきました。
こうした中、日本において評価実務の基本的な考え方を整理したのが「企業価値評価ガイドライン」です。
また、国際的な評価の標準としては「国際評価基準(IVS)」が存在しており、両者の整合性をどう考えるかは、今後の実務にも大きな影響を与えると考えられます。
本章では、国内ガイドラインの背景やこれまでの改正の趣旨、そして国際評価基準との接点について整理します。
国内評価実務を支える「企業価値評価ガイドライン」
ガイドラインの策定経緯と位置づけ
「企業価値評価ガイドライン」は、日本公認会計士協会によって2007年に公表されました。
もともとは主として非公開株式などの株式価値算定を想定した内容でしたが、M&Aの拡大を背景に企業価値全体を対象とする実務が求められたことで、幅広い評価目的にも対応できるように設計されました。
ただし、法的な拘束力がある基準ではなく、いわば実務上の参考資料としての位置づけです。
にもかかわらず、評価報告書を作成する多くの専門家にとっては、実質的な指針となっており、実務に大きな影響を与えてきたと言えるでしょう。
改正の背景にあった問題意識
2013年に改正が行われた背景の一つには、評価報告書が不正取引に利用されるという事案の発覚がありました。
そこでは、明らかに不合理な事業計画を前提に算定が行われたにもかかわらず、「提供された情報に依拠した」とする表記(いわゆるディスクレーマー)が責任の所在を曖昧にしているとの問題提起がなされました。
このような事態を受けて、改正後のガイドラインでは、評価者が情報の有用性や合理性について一定の検討・分析を行う責任があることが明示されました。
具体的には、急激な売上成長を見込んだ事業計画について、その妥当性に対して専門的見地から検討を加えることなどが求められています。
専門家としての姿勢と検討責任
検討・分析の視点
評価者は、提供された情報を無条件に受け入れるのではなく、通常期待される専門家としての知見に照らして、明らかに不自然な点がないかを見極める必要があります。
たとえば、過去の売上推移と乖離した急成長計画が提示された場合には、その裏付けや合理性を確認することが求められます。
このような手続きは、評価における透明性と信頼性を高めるために欠かせないものであり、依頼者との信頼関係を築くうえでも重要なポイントとなります。
評価業務の性格についての整理
企業会計審議会においても、企業価値評価業務が保証業務や合意された手続とは異なる性格を持つことが確認されています。
つまり、算定人自身が自らの知見に基づいて価値を導き出すアドバイザリー的な業務であり、専門家としての判断が不可欠だという点が改めて強調されているのです。
この整理により、評価報告書の内容が不合理であるにもかかわらず、責任を回避するような構成が許容されるべきではないという実務上の考え方が明確になったといえるでしょう。
国際評価基準(IVS) との接続と今後の展望
IVSCの概要と活動
国際評価基準は、IVSCという非営利組織によって策定・更新が行われています。
対象は企業や不動産、金融商品など多岐にわたり、評価の品質向上と実務の国際的な整合性を目的としています。
日本の制度や実務とは異なる点もありますが、基本的な考え方には多くの共通点が見られます。
特に、評価者の独立性や情報の合理的な検討といった視点は、IVSCにおいても繰り返し強調されているポイントです。
今後に向けた実務上の意識
今後、日本の評価実務においても、国際的な枠組みとの接点がますます重視されるものと考えられます。
たとえば、グローバル企業の買収や国境を越える資本取引が行われる場合、国内評価ガイドラインと国際基準との整合性が問われる場面も増えてくるでしょう。
そのため、国内外の考え方を柔軟に理解し、それらを統合的に捉える姿勢が、評価の専門家にとって重要な能力となっていくかもしれません。
おわりに: 透明性と説明責任の基盤として
企業価値評価の実務は、制度的な枠組みと専門的な判断を両輪として進める必要があります。
国内ガイドラインと国際基準の双方を理解することで、評価の品質を高め、利害関係者に対して説得力ある説明を行うことができるようになります。
本章の内容が、そうした実務の一助となれば幸いです。
免責事項
本記事は、一般的な解説を目的として作成されたものであり、特定の取引や評価案件に関して法的・会計的判断を示すものではありません。
企業価値評価や関連する実務においては、具体的な事案ごとの状況を踏まえた個別の助言が必要となるため、必ず専門家にご相談のうえご判断ください。
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